キアロスタミと縄文
2015.07.30 Thursday
先日は昨年の女木島以来、山梨で熊谷幸治さんと再会。
「5分で縄文土器片発掘」は冗談じゃなかった。(驚愕)
へちま文庫で、そりゃあ縄文本あったら買うでしょう。(2冊)
20代の頃読んだ雑誌にイランの映画監督アッバス・キアロスタミのインタビューが
載っていて、その中でオマル・ハイヤームの詩を引用していてノートに書き留めたことがある。
"人が死んで土になって、その土から水差しのような陶器がつくられる。
だからこの水差しは、私みたいに、いつか誰かを愛したことがあるでしょう。
水差しの取っ手は、いつか恋人を抱いていた腕でしょう。”
熊谷さんが見せてくれた3000〜4000年前の縄文の壺を見て触れたせいか、
ずっとこの詩のことを考えていて帰ってから古いノートを開いてみた次第。
(ちなみに実際のハイヤームの詩は4行詩なのでもっと淡々とした感じ)
それにしても展示前の忙しいときに、時間を割いてくれて感謝。
彼の土器授業から僕はいつも「難しく考えるな」という教えを乞うている気がする。
今週から埼玉のうつわノートで個展です。
お近くの方はぜひ。
キアロスタミの『風が吹くまま』を近々レンタル店で探してみよう。
たしか公開時のインタビューだったと思う。